大けがを乗り越えての五輪制覇だけでなく、全日本選手権で中量級で出場し重量級の選手たちを切れ味の鋭い一本背負い投げで畳にたたきつけて決勝まで進み、「平成の三四郎」と呼ばれた古賀稔彦さんが亡くなった。
一流の選手が一流の指導者になるとは限らない。亡くなった後の記事で知ったことだが、この柔道家の特筆すべきことは、現役引退後、五輪の金メダリストを育てただけでなく、町道場を主宰し、柔道を志す若者に勝つことだけでなく、柔道を通じた人づくりにも力を注ぎ、選手の心をつかみ実直に柔道と向き合ったという指導者の姿である。日本の柔道界の要職にいてもおかしくない実績を持ちながら、決して偉ぶらず在野の道を好んだという。
53歳の若さで亡くなったが、多くの人に感動を与え、柔道を志す子供たちに立派な道しるべを残した、羨ましい素晴らしき人生だったのでないかと思う。