四日市市で弁護士をしている同期の渡辺伸二さんから、この3月で弁護士を引退したという挨拶の手紙をもらいました。
手紙には、11歳の時に心臓弁膜症になり、主治医がこの子は60歳くらいまでしか寿命がないとお母さんに話すのを聞いていたこと、8年前に心臓手術を受けたがその後も不整脈に悩まされたことや65歳になったら仕事を辞めようと考えていたことが書かれています。
昭和54年の夏の終わり、私が前年に失敗した司法試験の口述試験の勉強に必死で、その年の論文試験の合格発表にも見に行かなかった時、宇治の自宅に私の論文試験の合格を知らせてくれたのが彼でした。その時以来の付き合いになります。
彼は立命館大学の少し後輩で、温厚な人柄で誰からも慕われ愛される人物です。
私が独身の時に住んでいた尼崎のマンションは、新築でしたが寝ている頭の上をゴキブリが走り回り、来客がトイレに入るのも躊躇するほど、来訪者の間では部屋の汚さは今も語り草になっています。(笑)
しかし、そのような部屋に、嫌がらず唯一人泊まってくれたのが彼でした。その一事だけでも彼の人柄が分かるかも知れません。
彼は引退の挨拶文に、「司法は社会的紛争を財力や人脈ではなく公平・公正に解決する制度であり、社会的弱者にとっては欠かせないものです。その司法の一端を担わせていただいたことに誇りを持って今後も生きてゆきたいと思います」と書いています。
日々の業務に追われ、ともすれば弁護士の志や使命を忘れがちになりますが、彼の弁護士としての志の高さや強い信念にはいつも敬服し、少しでも見習わなければと自戒しています。
36年間、お疲れ様でした。
これからは時間ができると思うので、大阪に遊びに来て下さい。
妻も家に泊まってもらったらと言っています。久しぶりに渡辺とゆっくり話してみたいです。